はじめに
「お花見」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか。おそらく、ほとんどの方が、満開の桜の下で、お弁当を広げる春の風景を思い浮かべるのではないでしょうか。今や日本で「花見」といえば、桜のことを指すのが当たり前になっています。でも、もし「昔の日本では、お花見といえば桜ではなく、梅のことだった」と聞いたら、おどろかれるでしょうか。
じつは、これは本当の話なのです。今から千年以上も前、日本人が「花」といえば、それは桜ではなく、梅を指していました。貴族たちは梅の花を眺めて歌を詠み、その香りを愛し、梅こそが春を代表する花だったのです。桜が花見の主役になるのは、じつはずっと後のことでした。私たちがあたりまえだと思っている「花見=桜」という常識は、長い歴史の中では、むしろ新しいものだったのです。
この記事では、「なぜ昔の日本人は、桜より先に梅を愛でていたのか」という、知るほどに面白い梅の歴史と文化について、庭師の目線でとことんわかりやすくお伝えします。梅がいつ日本にやってきたのか、なぜ貴族たちに愛されたのか、そしていつ主役の座が桜に移ったのか。教科書では教えてくれない、梅の物語をひもといていきます。さらに最後には、そんな由緒ある梅を、自分の庭で美しく咲かせるための「剪定(せんてい=枝を切って整えること)」の大切なお話も。この記事を読み終えるころには、庭の梅が、これまでとはちがう、特別な存在に見えてくるはずです。それでは、一緒に梅の歴史をたどる旅へ出かけましょう。
かつて「花」といえば梅だった ~万葉集が語る真実~
まず知っておきたい驚きの事実は、昔の日本では「花」という言葉が、梅を指していたということです。なぜそう言えるかというと、日本最古の和歌集である『万葉集(まんようしゅう)』を見ると、梅が桜よりもはるかに多く詠まれているからです。
『万葉集』は、今から千二百年以上前、奈良時代を中心に作られた、日本でいちばん古い和歌集です。約四千五百首もの歌が収められています。この中で、花を詠んだ歌を数えてみると、なんと梅を詠んだ歌が百首以上もあるのに対し、桜を詠んだ歌は、それよりずっと少ないのです。当時の人々が、いかに梅を愛していたかが、よくわかります。
■歌に詠まれた梅への愛
万葉の歌人たちは、梅の白い花の美しさや、早春のまだ寒い中で凛(りん)と咲く姿、そしてその上品な香りを、さまざまに詠みました。雪の積もった枝に咲く梅を、雪と見まちがえる、といった風情のある歌もあります。彼らにとって梅は、長い冬の終わりを告げ、春の訪れを真っ先に知らせてくれる、待ち望んだ花だったのです。寒さの厳しい時期に、ほかの花に先がけて咲く梅は、それだけで人々の心を強く打ったのでしょう。
■「花の宴」も梅だった
当時、貴族たちは「花の宴(うたげ)」、つまりお花見の集まりを開いていましたが、その主役も梅でした。梅の木の下に集い、花を眺めながら歌を詠み、酒を酌み交わす。これが、当時の最高に風流な楽しみだったのです。私たちが今、桜の下でしている花見の原型は、じつは梅の下で生まれたものだったのですね。
つまり、昔の日本では「花」といえば梅であり、『万葉集』はそのことを今に伝えています。梅は、日本人が最初に心から愛でた、春の花だったのです。
梅はいつ日本にやってきたのか ~海を渡ってきた花~
これほど日本人に愛されてきた梅ですが、じつはもともと日本にあった木ではありません。なぜなら、梅は古い時代に、中国大陸から日本へ伝わってきた植物だと考えられているからです。梅は、海を渡ってきた、いわば「外国生まれ」の花なのです。
梅の原産地は、中国の中部あたりとされています。中国では古くから、梅は花の美しさだけでなく、実が薬や食用として役立つ、とても大切な木でした。その梅が、奈良時代の少し前、あるいはそれ以前に、中国との交流の中で日本へもたらされたと考えられています。当時、中国は文化の先進国であり、日本は中国から多くの文化や技術を学んでいました。梅も、そうした最先端の文化とともに、海を渡ってきたのです。
■「舶来の花」としての特別感
当時の日本人にとって、中国から伝わった梅は、最先端の、おしゃれで特別な「舶来(はくらい)の花」でした。今でいえば、海外から入ってきた、最新の流行のようなものです。貴族たちは、この珍しく上品な花をこぞって庭に植え、その美しさと香りを愛でました。梅を育て、愛でることは、教養があり、文化的である証(あかし)でもあったのです。梅が貴族たちにもてはやされた背景には、こうした「特別な花」というあこがれもあったのでしょう。
■実用の面でも重宝された
梅は、観賞用としてだけでなく、実が役立つ点でも重宝されました。梅の実は、古くから薬として、また保存食として利用されてきました。花の美しさと、実の有用性。この両方を兼ね備えていたことも、梅が日本にしっかり根づき、広く愛されるようになった理由の一つです。美しいだけでなく、暮らしの役にも立つ。梅は、まさに一石二鳥の、ありがたい木だったのです。
つまり、梅は中国から海を渡って日本にやってきた、特別な花でした。その上品な美しさと実用性が、当時の人々の心をとらえ、愛されるようになったのです。
なぜ梅は貴族たちにこれほど愛されたのか
梅が、とりわけ貴族たちに深く愛された理由は、一つではありません。なぜなら、梅には、当時の人々の心を引きつける、いくつもの魅力が備わっていたからです。ここでは、梅が愛された理由を、もう少しくわしく見ていきましょう。
■理由1:誰よりも早く春を告げる
梅の最大の魅力は、一年でいちばん早く咲く花の一つだということです。まだ雪の残る寒い時期、ほかの木々が眠っている中で、梅だけが凛と花を咲かせます。長く厳しい冬を過ごした人々にとって、梅の開花は、待ちわびた春の、最初の知らせでした。その健気(けなげ)で力強い姿が、人々の心に深く響いたのです。「寒さに耐えて、真っ先に咲く」という姿は、気高さの象徴ともされました。
■理由2:気品ある香り
梅のもう一つの大きな魅力が、その香りです。梅の花は、桜とちがって、とてもよい香りを放ちます。早春のまだ冷たい空気の中に、ふわりと漂う梅の上品な香りは、なんともいえず風雅(ふうが)なものです。昔の人々は、この香りを「闇の中でも、香りで梅の在りかがわかる」と歌に詠むほど、こよなく愛しました。目で見る美しさだけでなく、香りという、もう一つの楽しみがあったのです。
■理由3:中国文化へのあこがれ
先ほどもお話ししたように、梅は中国から伝わった、文化の香り高い花でした。当時の貴族たちは、中国の進んだ文化に強くあこがれていました。梅を愛で、梅を歌に詠むことは、その教養とあこがれを表現する、洗練された行いだったのです。梅は、単なる美しい花を超えて、文化や教養の象徴でもありました。
つまり、梅は「春を真っ先に告げる健気さ」「気品ある香り」「中国文化へのあこがれ」という、いくつもの魅力によって、貴族たちにこよなく愛されたのです。
いつ主役は桜に変わったのか ~花見の主役交代の物語~
これほど愛された梅が、なぜ「花見の主役」の座を桜に譲ることになったのでしょうか。じつは、これには時代の移り変わりが関係しています。なぜなら、平安時代になって、日本独自の文化が花開く中で、人々の心が、しだいに桜へと移っていったからです。
奈良時代に梅が愛された後、時代は平安時代へと移ります。この平安時代は、それまでの中国文化をお手本にする流れから、日本らしい、独自の文化を大切にする流れへと変わっていった時代でした。そんな中で、もともと日本に自生していた桜が、しだいに注目を集めるようになっていきます。中国渡来の梅に対して、桜は「日本の花」という意識もあったのでしょう。
■歌集に見る主役交代
この変化は、和歌集にもはっきりとあらわれています。先ほどの奈良時代の『万葉集』では梅が圧倒的に多く詠まれていましたが、平安時代に作られた『古今和歌集(こきんわかしゅう)』になると、立場が逆転し、桜を詠んだ歌のほうが多くなるのです。さらに、ただ「花」と書けば桜を指すように変わっていきました。わずか百数十年ほどの間に、人々の「花」のイメージが、梅から桜へと移り変わっていったことがわかります。
■桜が選ばれた理由
桜が主役になった理由には、いくつかの説があります。日本に自生する親しみやすい花であったこと、いっせいに咲いて、いさぎよく散る姿が、日本人の心情に合ったこと、また、当時の天皇や有力者が桜を好んだこと、などです。こうしたいくつもの要素が重なって、桜は梅に代わって、花見の主役の座についていったのです。
■でも、梅が忘れられたわけではない
ただし、主役が桜に移ったからといって、梅が忘れられたわけではありません。梅は、早春の花として、また実をもたらす有用な木として、その後も日本人にずっと愛され続けました。桜が「春爛漫(らんまん)の花」なら、梅は「春を告げる先駆けの花」として、それぞれに大切にされてきたのです。
つまり、花見の主役は、平安時代に日本独自の文化が育つ中で、梅から桜へと移り変わりました。けれども梅は、その後も変わらず、日本人の心に寄りそい続けてきたのです。
梅は日本文化の中に生き続けている
主役の座を桜に譲った後も、梅は日本文化の中に深く根づき、今も私たちのまわりで生き続けています。なぜなら、梅は花や実だけでなく、言葉や習慣、デザインなど、さまざまな形で、日本人の暮らしに溶け込んでいるからです。
■言葉や暮らしの中の梅
私たちの身近なところに、梅はたくさん登場します。お弁当の「日の丸弁当」の真ん中で、私たちの食を支えてきた梅干し。お祝いごとの順位を表す「松・竹・梅」。ことわざや慣用句にも、梅はたびたび登場します。また、早春の風物詩として、各地で開かれる「梅まつり」には、今も多くの人が訪れ、梅の花を楽しんでいます。桜とはちがう、しっとりと落ち着いた風情を求めて、梅を愛でる人は、今も決して少なくないのです。
■デザインや家紋の中の梅
梅は、その美しい花の形から、デザインのモチーフとしても、古くから親しまれてきました。家紋(かもん)にも、梅の花をかたどったものがたくさんあります。とくに有名なのが、学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)にゆかりの深い梅です。道真公は梅をこよなく愛し、その伝説から、天満宮(てんまんぐう)などでは梅が神聖な花として大切にされています。受験のときに、天満宮にお参りした思い出のある方も、いらっしゃるかもしれませんね。
■気高さの象徴として
寒さの中で、ほかに先がけて咲く梅の姿は、古くから「気高さ」「忍耐」「希望」の象徴とされてきました。どんなに厳しい状況でも、けなげに美しく咲く梅は、人々に勇気と希望を与えてきたのです。こうした精神的な意味も、梅が長く日本人に愛され続けてきた、大切な理由の一つです。
つまり、梅は花見の主役を譲った後も、言葉、暮らし、デザイン、そして精神の象徴として、日本文化の中に深く生き続けています。私たちの暮らしは、今も梅とともにあるのです。
由緒ある梅を美しく咲かせる秘けつは「剪定」だった
ここからが、梅の専門サイトだからこそお伝えしたい、いちばん大切なお話です。これほど長い歴史を持ち、日本人に愛されてきた梅。その由緒ある梅を、自分の庭で美しく咲かせ、楽しむために欠かせないのが「剪定(せんてい)」なのです。なぜなら、梅という木は、正しく剪定してあげることで初めて、その本来の美しい花を、たくさん咲かせてくれるからです。
■万葉の歌人が愛でた美しさも、手入れあってこそ
考えてみてください。『万葉集』の歌人たちが愛でた、あの凛と咲く梅の美しさ。じつは、人の手で大切に育てられ、整えられた梅だからこそ、あれほど美しく咲いたのです。梅は、ほうっておくと枝が乱れ、混み合って、花つきも悪くなってしまいます。昔の人々も、梅を愛でるために、木を手入れし、整えていたことでしょう。美しい梅の風景の裏には、いつの時代も、人の手によるていねいな手入れがあったのです。
■剪定で、花つきがよくなる
梅の花を、枝いっぱいに美しく咲かせるには、剪定が欠かせません。混み合った枝を整理して風通しと日当たりをよくすると、一つひとつの花が元気に、たくさん咲くようになります。ただし、気をつけたいのが剪定の「時期」です。梅の花になる花芽(はなめ)は、夏から秋に作られます。この花芽を切り落とさないよう、正しい時期に剪定することが、翌春たくさんの花を楽しむための秘けつです。時期を間違えると「歴史ある梅を植えたのに、花が咲かない」ということにもなりかねません。
■剪定が、梅本来の品格ある姿をつくる
梅の魅力は、桜のように一面を花でおおう華やかさとはちがう、すっきりとした枝ぶりと、凛とした品格にあります。この品格ある美しい姿は、剪定によって生まれます。混み合った枝を整理し、不要な枝を取り除くことで、一本一本の枝の線が際立ち、梅本来の風情が引き出されるのです。万葉の歌人が愛でた、あの気高い美しさを自分の庭で再現するのも、剪定しだいなのです。
■花も実も、剪定で楽しめる
そして、剪定を正しく行えば、美しい花を楽しんだ後に、梅の実の収穫まで楽しめます。古くから日本人が、花の美しさと実の恵みの両方を梅から受け取ってきたように、私たちも剪定を通じて、その両方を楽しむことができるのです。
つまり、由緒ある梅を美しく咲かせる本当の秘けつは、「剪定」にあります。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という昔の言葉のとおり、梅は正しく切ってあげることで、かえって元気になり、その歴史にふさわしい美しい姿を見せてくれます。梅の豊かな歴史を知った今こそ、ぜひその美しさを引き出す「剪定」にも目を向けてみてください。当サイトには、花を美しく咲かせる剪定をくわしく解説した記事もありますので、あわせて参考にしていただければうれしいです。
読者からよくある質問(Q&A)
Q1. 本当に、昔は花見といえば梅だったのですか?
A. はい、本当です。奈良時代を中心とした『万葉集』では、梅を詠んだ歌が桜よりずっと多く、当時「花」といえば梅を指すほどでした。貴族たちは梅の下で「花の宴」を開いていました。花見の主役が桜に変わるのは、その後の平安時代以降のことなのです。
Q2. 梅は、もともと日本にあった木ではないのですか?
A. はい、梅は中国大陸が原産で、古い時代に日本へ伝わってきたと考えられています。当時の日本人にとっては、中国から来た最先端の「舶来の花」で、特別なあこがれの対象でした。その上品さと実用性から、すっかり日本に根づき、愛されるようになりました。
Q3. なぜ花見の主役は、梅から桜に変わったのですか?
A. 平安時代に、中国文化をお手本にする流れから、日本独自の文化を大切にする流れへと変わったことが大きいとされます。日本に自生する桜が「日本の花」として注目され、いっせいに咲いて散る姿が好まれました。歌集でも、桜の歌が梅を上回るようになっていきました。
Q4. 梅と桜は、何がちがうのですか?見分け方は?
A. いくつか見分け方があります。梅は花が枝に直接ついているように咲き、よい香りがあり、早春(1~3月ごろ)に咲きます。桜は花が枝から柄(え)をのばして咲き、香りはひかえめで、春本番(3~4月ごろ)に咲きます。咲く時期と香りで見分けるのが、わかりやすいです。
Q5. 梅の花には、どんな意味や象徴がありますか?
A. 寒さの中で、ほかに先がけて咲くことから、「気高さ」「忍耐」「希望」などの象徴とされてきました。また、学問の神様・菅原道真公にゆかりが深く、天満宮では神聖な花とされています。お祝いの「松・竹・梅」にも使われ、めでたい花でもあります。
Q6. 「梅まつり」は、今でも行われているのですか?
A. はい、各地で行われています。早春になると、梅の名所では梅まつりが開かれ、多くの人が訪れます。桜の花見とはちがう、しっとりと落ち着いた風情と、よい香りを楽しめるのが梅まつりの魅力です。お近くの梅の名所を訪ねてみるのも、よいものです。
Q7. 菅原道真と梅には、どんな関係があるのですか?
A. 学問の神様として知られる菅原道真公は、梅をたいへん愛したと伝えられています。道真公が大宰府(だざいふ)へ左遷(させん)されたとき、愛した梅が一夜にして空を飛んで追ってきた、という「飛梅(とびうめ)」の伝説も有名です。この縁から、天満宮には梅が植えられ、大切にされています。
Q8. 自分の庭でも、昔の人のように梅を愛でられますか?
A. もちろんです。庭に一本梅を植えれば、早春に凛と咲く花と、その香りを、昔の人と同じように楽しめます。花の下でお茶を楽しむ「梅見(うめみ)」は、桜とはちがう、しっとりした趣があります。歴史に思いをはせながら梅を眺めるのも、また格別です。
Q9. 梅を美しく咲かせるには、どうすればいいですか?
A. いちばん大切なのは、日当たりのよい場所に植えることと、正しい時期の剪定です。とくに剪定は、花つきを大きく左右します。花芽を切らないよう、適切な時期に枝を整えることで、翌春、枝いっぱいに花を咲かせられます。詳しくは、当サイトの剪定記事も参考にしてください。
Q10. 歴史ある梅を育てるとき、いちばん大切なことは何ですか?
A. 日ごろの「剪定」です。どんなに由緒ある美しい梅でも、手入れをしなければ枝が乱れ、花つきも悪くなります。万葉の時代から愛されてきた梅の美しさは、人の手による手入れがあってこそ。毎年の剪定で大切に育てることが、その歴史にふさわしい姿を引き出す秘けつです。
私たちが「花見」と聞いて桜を思い浮かべるようになったのは、長い歴史の中では、じつは比較的新しいことでした。かつて日本人は、海を渡ってきた梅を「春を告げる花」としてこよなく愛し、その下で歌を詠み、香りを楽しんできました。主役の座を桜に譲った今も、梅は私たちの暮らしや心の中に、しっかりと生き続けています。
庭に咲く一本の梅にも、千年を超える、こんなにも豊かな物語が宿っているのです。その由緒ある梅を、毎年美しく咲かせてくれるのが、日ごろの剪定です。今年は、梅の花を眺めながら、昔の人々の想いに、そっと思いをはせてみてはいかがでしょうか。やっぱり、梅の木って最高です。




